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東京地方裁判所 昭和20年(ワ)487号 判決

原告 山越圭祐

被告 大正海上火災保険株式会社

主文

被告は原告に対し金三万八千円及びこれに対する昭和二十一年二月九日から右支払ずみに至るまで年六分の割合による金員の支私をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

原告は、被告は原告に対し金十万円及びこれに対する昭和二十一年二月九日から右支払ずみに至るまで年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求める旨申し立て、その請求の原因として、原告は昭和二十年三月六日損害保険業を営む被告との間に、東京都目黒区駒場町八百四十番地所在瓦葺木造平家建一棟建坪十三坪(以下本件家屋という)内にあつた原告所有の家財、什器等の動産を目的とし、保険金額十万円、保険料一カ年に火災保険につき金三百六十円、戦争保険につき金二百円、地震保険につき金五十円合計金六百十円、保険期間昭和二十年三月六日から昭和二十一年三月六日午後四時まで一カ年とする戦争保険、地震保険附帯の火災保険契約を締結し保険証券第八二九九五六号に代え火災保険契約通知書の交付を受けた。右家屋並びに右保険の目的である動産は昭和二十年五月二十五日夜空襲により全焼した。そして本件保険契約には原告と被告との間に保険価額を金十万円とする旨の協定があつた。かりに、原被告間に右保険価額の協定がなかつたとしても、罹災当時本件家屋にあつた原告所有の動産は時価金十万円相当であつたから、前記保険事故の発生により原告が蒙つた損害額は右と同額というべきである。

よつて原告は被告に対し右保険金額十万円並びにこれに対する本件訴状送達の翌日である昭和二十一年二月九日から右支払ずみに至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴請求に及んだ次第であると述べ、被告の抗弁事実を否認した。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告の主張事実のうち、原告主張の日に原、被告間に原告主張のような内容の保険契約が締結されたこと及び本件家屋が原告主張の日時空襲により全焼したことは認めるが、その余の事実はすべて否認すると述べ、抗弁として、

(一)  原告は当時すでに空襲が激化し、その罹災の蓋然性が極めて高くなつたので、戦争保険契約を締結しておけば保険金が得られる可能性が大きくなつたのに乗じ、乗ら戦争保険制度を悪用して多額の保険金を利得する目的で、本件保険契約を締結したものであるから、本件契約は公序良俗に反し無効である。

(二)  かりにそうでないとしても、本件保険価額については損害保険統制会戦争保険共同調査団委員会から保険の目的たる動産を収容する建物の坪数により坪当り金八百円を相当とする旨の評価裁定を受けたところ、本件家屋の建坪は十三坪であるから、本件保険価額は右割合に算出した金一万四百円とすべきであるから、本件保険契約は右限度を超える部分はいわゆる超過保険であつて無効である。

(三)  かりに本件保険契約が無効でないとしても、本件保険の目的たる動産が焼失したことにより原告の蒙つた損害は、当時空襲の激化に伴い罹災の蓋然性が極めて大となつたに拘らず、原告が家財を疎開せず何等損害を防止する処置を講じなかつたため生じたものであること明らかである。そして原告は自己の右不作為によつて本件保険の目的物が全部焼失するに至るかも知れないことを予知したに拘わらず右のような態度に出でたものであつて、故意に被保険者としての損害防止義務に違反したものというべきである。かりに原告に故意がないとしても原告は重大なる過失により右損害防止義務に違反したものといわなければならない。すなわち前記損害は原告の故意又は重大なる過失による損害防止義務違反の結果生じたものであつて、原告の悪意又は重大なる過失による損害に該当するから、商法第六百四十一条の規定により被告にはその損害填補の責任がない。又かりに原告に悪意も重大なる過失もないとしても、原告が過失によつて右損害防止義務に違反し前記損害を生じたものであることは明らかである。そもそも被保険者が過失により損害防止義務に違反し損害を生じた場合、被保険者は不作為により保険者が保険の目的物に損害の生じないことにつき有する利益を侵害したものというべきであり、不法行為により損害賠償義務を負い、保険者はその支払うべき保険金のうちから右損害額を相殺により控除してこれを支払うことができるものと解すべきところ、本件において生じた損害は全部原告の損害防止義務違反によるものであるから、結局被告は本件保険金を支払う義務がない。

(四)  かりに以上がすべて理由がなく、被告が原告に対し填補すべき金額が金四万円以上になるとしても、昭和二十三年十二月二十四日午前十時原、被告間において被告は原告に対し金四万円の支払義務あることを認めると共に、原告は被告に対し本件保険金債務のうち右限度を超える部分を免除する旨の和解契約が成立したから被告の本件保険金支払義務のうち金四万円を超える部分はこれにより消滅したものであると述べた。〈立証省略〉

理由

原告主張の日に原、被告間に原告主張のような内容の戦争保険、地震保険附帯の火災保険契約が締結されたこと及び本件家屋が原告主張の日時空襲により全焼したことは当事者間に争がない。

そこで被告は本件保険契約が公序良俗に反し無効である旨主張するので、この点について判断するに、戦争保険は戦争の際における戦斗行為又はこれに関連ある事件による火災その他の事故を保険事故とする損害保険であり、普通の火災保険におけるよりは保険事故発生の危険率が極めて高いこと明らかであるが、それはあくまで戦争の際における偶然的事故の発生による損害を填補することを目的とするものであるから、特段の事情のない限り戦争保険契約の締結自体を目して公序良俗に反するものといえない。これに加えるに原告に被告主張のような戦争保険制度を悪用して保険金を利得しようという目的があつたと認めるに足りる証拠はないから、その存在を前提とする被告の前記主張は理由がない。なお原告が家財を疎開しなかつたことが被保険者としての損害防止義務違反にならないことは後記のとおりであつて、右のような事実があつたからといつて直に本件保険契約の締結が公序良俗に反するものとは認めがたい。

次に被告は本件保険契約はいわゆる超過保険であつて、保険金額が保険価額を超える限度において無効である旨主張するので、この点について更に審究するに、原告は本件保険契約には原、被告間において保険価額を金十万円とする旨の協定があつたと主張するけれども、その事実を認めるに足りる証拠はない。却つて成立に争のない乙第六号証、証人南恒郎、同木村力の各証言を合せ考えれば、原告が保険の目的物について申告した価額は損害填補額を定めるにあたつて一応参酌の資料となるにすぎないものであつて、本件保険契約には保険価額に関する協定がなかつたものであることが認められる。そして成立に争のない甲第四号証の一乃至四と原告本人尋問の結果によれば、原告は本件罹災当時齊電舎という会社に会計掛として勤務し、月給金二百八十円位を得て、本件家屋に妻と娘一人と共に三人で暮していたものであるが、日頃から蓄財に心掛け帝国銀行、三菱銀行、三和銀行、日本貯蓄銀行等に相当額の預金をなし、家具等の動産も比較的多数揃えるなど、原告の地位、職業、家族数等に比し相当多額の財産を所有していたことが認められる。この事実と本件家屋の建坪がわずか十三坪にすぎなかつたという当事者間に争のない事実及び鑑定人戸口武男の鑑定の結果を綜合して考えれば、原告が罹災当時本件家屋内に所有していた動産は時価合計金三万八千円相当のものであつたと認めるのが相当である。すなわち本件保険価額は金三万八千円といわなければならないから、本件保険契約は右金額の限度においてのみ効力を有し、これを超える範囲においてはいわゆる超過保険として無効であること明らかである。もつとも甲第三号証の一乃至三にはそれぞれ罹災当時における原告の所有動産の品名、数量、価額等が記載され且つその価額の合計が金十万円であつた旨記載されているけれども、証人斎藤猪三郎、同細谷光蔵の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、甲第三号証の三は原告が罹災後本件保険金を請求する便宜上その形式を整えるために、罹災により焼失した動産の品名、数量、価額があたかも同号証記載のとおりであつたかのように装つてこれを作成したものであり、甲第三号証の一は原告の近所に住んでいた斎藤猪三郎が、同号証の二は町会事務所の一女事務員が町会長栗田和一名義で、それぞれ唯原告に依頼されるまゝ形式的に右甲第三号証の三の写に対しその記載に間違ないことを証明する旨書き添えて作成したものにすぎないことが認められ、右記載は前記鑑定の結果に対比しいずれも当裁判所の措信しないところである。なお被告は本件保険価額は損害保険統制会戦争保険共同調査団委員会の評価裁定により金一万四百円とすべきであると主張するけれども、証人南恒郎の証言により真正に成立したと認める乙第三、第四号証及び成立に争のない乙第五号証によれば、損害保険統制会は国家総動員法(昭和十三年法律第五十五号)金融統制団体令(昭和十七年勅令第四百四十号)の規定に基き設けられた業態別統制会の一であつて、損害保険事業の機能の一体的発揮に必要な指導統制を行い且つ損害保険事業に関する国策の遂行に協力することを目的とし、一定の損害保険会社を会員とし、損害査定に関する指導統制その他の事業を行うものであるが、会員たる会社は右統制会が右事業を行うため大蔵大臣の認可を受けて定める統制規程に従うことを要し、その統制規程第七号に基き右統制会理事長は必要ありと認めるときは会員に対し損害の査定又はこれに関連ある事項について必要な事項を指示する権限を与えられていることが認められるので、たとえ右統制会が本件保険価額について被告主張のような評価裁定を行つたとしても、かかる評価裁定が会員会社に対しては効力を有し、会員会社がこれに従わなければならないこと勿論であるけれども、一般第三者たる原告に対しては直接効力を及ぼすものとはいえないから、被告の右主張は失当であつて採用の限りではない。

更に被告は本件損害は原告の損害防止義務違反により生じたものであるから、本件保険金支払の義務がない旨主張するけれども、当時すでに戦局が極度に悪化し空襲は益々激しくなる一方で、国内の交通運輸機関の機能が著しく阻害され、家財の疎開なども容易に出来ない状態にあつたことは公知の事実であり、かゝる状況の下において原告が家財を疎開しなかつたとしても、それだけで原告に被保険者としての損害防止義務違反があつたと断ずることはできないし、他に原告が右損害防止義務に違反したと認めるに足る証拠がないから、被告の右抗弁は他の点について判断するまでもなく失当である。

最後に被告は、昭和二十三年十二月二十四日当事者間に被告は四万円を限度として保険金支払義務を認める旨の和解が成立したと主張するけれども、被告の保険金支払義務が前段に於て判示したように三万八千円の限度に於て存する以上被告の右抗弁はこれを採用する必要がないからこれに対する判断を加えない。

そして本件家屋内にあつた原告の所有動産が全焼したことは原告本人尋問の結果に徴し明らかであるから、本件保険事故により生じた損害額は前記保険価額に相当する金三万八千円というべきであり被告は原告に対して本件戦争保険金として右金額及びこれに対する本件訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和二十一年二月九日から右支払ずみに至るまでの商法所定の年六分の割合による遅延損害金を支払う義務があるものといわなければならない。

よつて原告の本訴請求は被告に対して右支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 飯山悦治 鉅鹿義明 田宮重男)

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